立山開山縁起と大徳寺

大徳寺には、歴代住職から受け継がれた様々な大切なモノがございます。

その中でも 注目を頂いているのが
「立山曼荼羅(たてやままんだら)」です。

ある日、有頼は、父の白鷹をかりて、片貝川に出て、鷹野の遊びをしていました。

しかし、ふとした瞬間に、鷹が空高く舞い上がり
その姿を見失ってしまいました。

あわてた佐伯有頼は、飛び去った白鷹を求めて山中に入ると、
大きな熊と遭遇してしまいます。

有頼が放った矢は熊に命中。
熊は血を流しながら逃げて行きました。

その後、有頼は山頂にむかって逃げる熊を追い、室堂近くの玉殿の岩屋という洞窟に着きました。
岩窟の入口に立つと信じられない光景が、、、。。
なんと矢傷をうけた阿弥陀如来のすがたがそこにあったのです。

そこでまぶしい光につつまれた阿弥陀如来のお告げを聞いた有頼は、
随喜の涙を流し、説法ヶ原の五智寺で受戒得度されました。
そして、名を改めて「慈興大徳」と称し立山を開かれ、
常に信仰する保の伏山堂のご神体をその頂上に移し之を安置して立山権現(たてやまごんげん)と称されました。

之を守る坊庵を岩峅芦峅に建て妻帯の別当を置かれ、
ご自身は父・有若と共に今の片貝川の南側に一字の仏閣を建立され
慈興寺」と名付けられ、
慈朝法師から頂いた聖徳太子の御自画を朝夕礼拝し大切にお守りをされたということです。

ここでいいます「慈興寺」というのは、
当寺、「慈興院 大徳寺」であります。

絵解きは現在、中止しております

立山曼荼羅では、有頼の白鷹のお話だけでなく、
富山(立山)を代表する橋渡りの儀式「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」や、
立山の極楽の世界、
地獄・餓鬼・畜生・修羅道といった迷いの世界が描かれています。

霊山立山といわれておりますように、
立山には地獄・極楽を感じさせられる不思議な魅力がございますが、
かつて、この立山曼荼羅絵解きの場では
語り手と聴き手が共に立山曼荼羅を通して

死と向き合う事、
今生きている事、
どのように生きるのか

という事を学んでいました。

しかし、明治時代の廃仏毀釈の影響により
立山信仰は衰えていきました。

そんな時代が流れる中でも、
慈興院大徳寺では、歴代の住職達が伝統を受け継ぎ
立山曼荼羅の絵解きを行ってきました。

前住職であります57代目まで、立山曼荼羅の絵解きを毎年(または隔年)行ってまいりました。
そして、57代が亡くなって、一旦、絵解きは中止としておりますが、
現在58代住職が、
伝統を受け継ぐべく、勉強をしております。

2016年11月12日(土)絵解きを約5年振りに復活し、
その後、不定期に実施しておりましたが
絵解きは現在、中止としております。

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