2016.11.06

人にやさしくされた時に気づく事。それは、争いの中では気づけない事なんでしょう

web版お寺の掲示板の第3弾
モンゴル800(通称:モンパチ)の
「あなたに」という曲の出だしの歌詞です。

SNS等見てると
誰かの投稿に対して、批判をしているコメントをよく見かけます。

「なんでそんな発想?バカか?」
とか
「○えろ!○んじまえ!」
といったコメントなどなど。。

そして、俗にいう「炎上」になることもあります。

こういうのを見ていると、
個人的に思い出すのがイソップ童話の「北風と太陽」

あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。
まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。
 

引用元:wikipedia 北風と太陽

子供の頃、この話を読んで
すごくインパクトがあったのを覚えています。

だって、
北風(または太陽)と旅人は
戦わないといけない
勝負しないといけない

と、思い込んで話しを読んでいましたが、
結果として、「太陽」と「旅人」の双方が満足な結末となったんですから。
それはそれはインパクトありました。
(個人的に太陽の賢さが大好きです。)

 
で、人が人を批判してしまうという事についてですが、

 
浄土真宗の開祖である親鸞上人は
私たち人間の事を「煩悩具足の凡夫」と言われました。

「煩悩具足の凡夫」は、どういう事かというと、
人間とは、煩悩にまみれた生き物であるという事です。

人間は煩悩にまみれた生き物ですから、何か衝突があるときは、
まず自分が正しい所から、「自分はこんなにできているのになんでアイツは、、、」と
判断・攻撃してしまいます。
そして、そこに相手との衝突がさらに深まる。
平たく言うと戦争だってそうですよね。

でも、実際はそれぞれが互いに 迷感をかけてるし、
そして支えられている。
持ちつ持たれつで、生かされているのだと思います。

そのことを考えた時、
モンパチの

人にやさしくされた時
自分の小ささを知りました

 

という歌詞は
煩悩にまみれた自分を
鏡越しに見せられたような、、、、
そんな感覚にしてくれます。

煩悩にまみれた自分だと気づいたら、
あの時、正しいと思っていた自分自身の正しさって如何なものだったのだろう。
実は どこで誰に迷惑をかけているのだろうか。。。。
と思います。
(過去の自分の言動や行いを思い出して、恥ずかしくなるって事ありますよね?^^;)

モンパチの歌詞
「人にやさしくされた時、
自分の小ささを知りました。」

の後には
「あなた疑う心恥じて 信じましょう」
と続きます。

「信じましょう」
それはその相手の事だけでなく、
煩悩具足の凡夫である、すべての人間への愛情を感じる事ができるような気がします。
 
 


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