2016.12.02

どんなときもどんなときも。迷い探し続ける、その答えは「今」にある

昔のあなたは、どんな(人)だった?

こう聞かれると、どれくらいの過去を思い出されますでしょうか?

中学・高校の頃?はたまた、成人となった頃?
思い出される時代は 人それぞれだと思います。

よーく思い出してみると、
その当時は真剣に、悩んでいたり・迷っていた事を思い出して
「あんなこともあったな〜。(笑)」
って、思う事もありますよね。

あの時は、必死に悩んで、迷っていた事でも、
時が過ぎた今になって思い返してみると、
たいした事なかったって思ったり、
もしかしたら、昔と比べて成長した今の自分に出会う方もおられるのかもしれませんね。

 
今回のweb版お寺の掲示板の言葉は、

どんなときもどんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから

槇原敬之さんの「どんなときも」の歌詞です。

 
過去を思い出した時、
当時には持ちきれなかった苦しみも
今は違って見える。
あの時は迷い、答えを探し続けていたのかもしれないけど、
知らず知らず、時が経つと共に気づく事があるのかもしれません。

 
そうそう、この歌詞を見ていると思い出すのですが、
かつて、元サッカー選手の中田英寿さんが、W杯ドイツ大会を最後に現役を引退。
そして、その後に「自分探しの旅」にでられました。

当時、それが話題となり、私の周囲でも「自分探しの旅に出たい」という人が多かったです。
私自身も、なんだか影響を受けて、
「海外に行きたい!そして自分を探したい!」
なんて、思っていた事があります(笑)

それから、もう10年ほど経とうとして
私は結局、海外へ自分探しの旅には出なかったですが、
それでも、わかった事があります。

それは、富山にいても どこにいても、
いろんな苦しんだ事、悩んだ事
これまで、本当に いろんな事があって
その迷い探し続けた日々があって今の自分があるんだという事。

もし、自分を探す旅に出ていたなら、どこかの国にはゴールがあって
そこに「The 自分」みたいなアイテムが置いてあるって事はなかったでしょう。

「自分探しの旅」。
それは、様々な挑戦や冒険をした事による経験や、
過ごした日々こそが、自分を形成してくれるという事なんだと思います。
だから日本だろうと、海外だろうと、どこに行ったからというのではなくて、
自分がどんな事と向き合って、迷い探してきたのかが大事なんだと思います。

 
そして、ここで仏教の事を一つ。

仏教で大切にするのは「今」という事です。

過去は「今」となっては変えられるでもなく、未来は「今」が積み重なった先にあります。

そして、過去の事を思っているのも、
先の事を考えているのも、「今」なんです。

今、迷い探し続けている、そんな日常が答えになるのでしょう。

もし「今」、何かに迷い、
そして、探し続けている事があるなら、
それはいずれ過去の事になります。
だから、
その「今」を忘れず、「今」に向き合って生きていきたいものですね。

 
 
【終わりに】
先日、当寺と同じ富山県魚津市にある、
華王寺さん(真言宗)の副住職 坂本くん(28歳)とのご縁があり、たくさんお話しをしました。

彼は、これから先の「未来の住職」としての姿を見つめながら、「今」をしっかりと味わっていました。
そんな彼の姿と出遇った中で、
今回の「どんなときも」の歌詞が私の頭に浮かんできました。

そして、私自身、彼の姿からたくさん学ばせていただきました。
宗派を超えて関わりをもてるお坊さんとのご縁に感謝します。

 


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